千里の道も一歩から!

この写真を見て何を思いましたか?何を感じましたか?

ゼッケン128番!

52回の歴史を誇る地上最強の極真空手の無差別の全日本大会で、(男子)出場選手128名の中で優勝候補筆頭の選手が付けるゼッケン№が128番である。自分の現役時代は支部から2名しか出場出来なかった。支部内の選抜戦(大会)で優勝か準優勝しなければ出場することは叶わなかった。組織が何派にも分裂し、全日本大会128名出場は困難を極めた。今やユースジャパン全盛時代となった。全日本トップ選手は皆ユース出身の選手達である。現役高校生の選手も珍しくない。第12回世界大会日本代表選手(新極真会)は皆ユース選手となった。このユースジャパン全盛時代にあっても、全日本大会で128名エントリーには遠く及ばない。

千葉南支部からの全日本出場人数が一番多かった時は7名だった。結果は別にしても、全国でも上位だった時代があった。勝つ前に、先ず出場出来る選手を育てなければならない。参加するだけでは意味がないが、参加する選手がいなければ、もっと意味がない((´∀`))。

日曜日の朝練!・・・全日本選手の特別強化稽古。ドリームや全関東大会の前には、高校生や中学生、少年部も参加させた。出場する大会で勝ちぬくための強化稽古として。それ以上に、全日本選手達と一緒に稽古することで先輩達のように(無差別の)全日本選手になって貰いたいとの願いからであった。自分にとっても“日曜日の朝練!”は特別なものだった。極真現役時代にも同じような全日本選手の稽古会があった。全日本出場を目指し、全日本で勝ち抜くために千葉県下の分支部道場から集まり、組手中心の特別稽古会があった。いつもなら道場で後輩には強い口先だけの先輩達は日曜日の実戦会は参加しなかった(内緒)。サポーターなど無い時代である。喧嘩空手と呼ばれた時代、組手は真剣勝負だった。緑帯の時、白石先輩の引退を機に実戦会が始まった。自ら志願した。師範からも参加が許された。茶帯すらいなかった。毎週、のばされた((´∀`))腹を抑え呻きながらこう思った。

“これが極真空手だあ!”

日曜日、朝起きると毎回行きたくないなあと思った。そう思いながらも足は道場に向かった。今当時を振り返って間違いなく断言出来る事がある。それは・・・思い出しただけでもぞっとするが、あの日曜日の朝練(実戦会)があったからこそ全日本選手になれた。もっと言えば、緑帯茶帯時代の朝練参加があったからこそ世界大会に出場することが出来た。黒帯になって参加していたのでは遅かった。日本代表選手にはなれなかったと思う。間違いなく緑帯茶帯時代の日曜日の朝練を含め、数々の試練が日本代表選手という大木(たいぼく)に育つ肥やしになった。

大木になって花を咲かせてから肥やしをやっても何の意味もない。

黒帯になって強くなって勝てるようになって朝練に出る人は、強くなれない。色帯は弱いのは当たり前で、弱いから強くなるために朝練に出るのである。自分はそう思う。大木になったら肥やしを受け入れなくなる。逆に虫が付かないように消毒してあげないといけない。黒帯になったら強くなったと勘違いして師範の言うことを聞かなくなる(内緒)。どんな大木になるか!どんな樹になるか?それは・・・肥やしで決まる。(肥やしには光も水も含まれる)ズバリ!大地で決まる。肥やしを拒否したら大木になれない。師範や道場の所為にして大地に順応できない人も然りである。

朝練の時に少年部や中学生によくこう言ったものである。

『全日本選手と一緒に朝練が出来ることを当たり前と思ってはいけない。全国には、全日本選手がいない支部道場はたくさんある。ましてや世界大会日本代表選手のいる道場は少ない。千葉南支部には世界チャンピオンさえいる。この恵まれた環境に感謝してそれを活かさないといけない。』

いつの間にか全日本選手が、翔希と翔太の二人だけとなってしまった。翔希は仕事で朝練には出ない。翔太は自動車学校に行って、今週日曜日の朝練は不参加だった。

この写真を見て、こう思った人は凄い。

「全日本選手がひとりもいない。黒帯がひとりもいない。」

全日本選手のための日曜日の朝練に、全日本選手がひとりもいない。全日本選手どころか黒帯さえいない。もっと言えばユース選手がひとりもいない朝練となった。朝練を始めて、初めての事だった。少年部は低学年の方が多かった。

コロナ禍で出場選手は大幅減となったが、そんな中でも1年生の真総が自分から出場を申し出て来た。

“僕頑張るのでドリーム出場させて下さい。”

嬉しかった。次の週から桃太郎クラスに入れた((´∀`))

何のために年間200日以上も稽古してるのか。何のために毎週日曜日の朝から稽古に来るのか。

全日本大会に出たいからであろう!送迎する父兄の皆さんとて同じ思いに違いない。

勝てるかどうか?分からない。はっきり言えば、今のままでは勝てない。ドリームですら勝てないのだから。ヘッドガードもサポーターもないフルコンタクトルールのJFKO全日本大会。天羅と紫穏に出場許可した。いつも一緒に稽古する奎太にはドリームフェスティバル出場を初めて許した。

21日、選手育成の難しさをしみじみと痛感した朝練となった。また時を感じずにはいられなかった。20年の歴史を振り返り、また一からの選手育成を考えると気の遠くなるような思いに駆られた。そんな中でも一筋の光明が射した。分支部長に成長した世界戦士でもある愛弟子の河鰭が佐倉から選手を連れて来た。

このメンバーから世界の舞台で戦う選手を育てることは至難の業である。しかし、自分は諦めない。20年目にしてまた原点に帰った。弟啓治(師範)の言葉がまた蘇る。

幸一師範、使命 原点!

千里の道も一歩から

新グリーンフラワーズ結成しました((´∀`))((´∀`))

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