梅干しの話
福岡県大会秘話 「32年振りの再会!」
『雨の日になると非常階段で走り回っている人がいます。皆、本当に迷惑しています。止めてください。・・・管理人』
8月の福岡県大会の前日、三好副代表と一緒にサプライズで弟啓治(師範)の施設にお見舞いと地元の後輩白石君の店「広島流鉄板焼き ひとかど」に陣中見舞いに行って来た。実は、その前日の金曜日から福岡入りしていた。
昨年の8月に公務員時代の先輩から、道場に突然電話が来た。公務員時代にたった一度3カ月だけ同勤して大変お世話になった先輩だった。世界大会の翌年に大手町にある本店勤務となった。千葉県内の或る支店に派遣で行った時の話である。やけに気が合う先輩がいた。毎晩のように誘われて一緒に飲みに行った。悲しいかな?転勤が多い職場、加えて自分が早くに退職したので、それ以来先輩と会う事は二度となかった。当時は、苗字しか知らなかった。年齢も職場の期別も下の名前さえも知らずに付き合った。後輩達の面倒見のいい親分肌の人だった。肩書きなど全く関係なかった。
30数年振りの電話に驚いた。話を聞く内にもっと驚いた。な、な、何と先輩も自分と同じ福岡出身だった。そして、退職して今住んでいる同じマンションに、な、な、何と、新極真会福岡支部の道場生がいたのである。そのお父さんと先輩が家族ぐるみで付き合いする仲だった。ひっくり返りそうになった((´∀`))その場で子供達と話した。福岡県大会で会う約束をした。後日、子供達から手紙が届いた。ビックリだらけ((´∀`))話はトントン拍子に進んだ➡今年の福岡県大会の時、先輩の所へ行く事となった😀
緊急事態宣言中だったので大会1週間前に断わりの電話を入れたが、断れなかった。
断るつもりが固い約束をした。先輩がこう言った。
「奥ちゃん、刺身好きかい。美味しいらっきょうもあるぞ。気にするな。俺達ワクチン打って、部屋もたくさんあるから。来いよ。」
心で泣けた。断れなかった。嬉しかった。どんな事があっても行こうと思った。
奇跡かもしれない。32年振りの再会を果たした😂
先輩が空港まで迎えに来てくれた。初めて会う奥様が手料理で大歓迎してくれた。先輩手作りのらっきょう付け。奥様の手作りの梅干しやゴーヤチャンプルーetc・・・。風呂上り、いつも裸なので裸のままでいいですか?と言うと。先輩も奥様も遠慮しないでと言われた。裸で飲みながら思った。無礼かな?でも田舎に帰って来たような雰囲気だったので裸になった((´∀`))たった3カ月の縁が一晩で深い絆に変わった。例の福岡支部道場生の家族とも対面を果たした。伝統継承の書や第4回世界大会の緑代表と自分の写真などを子供達にプレゼントし、世界を目指せと激励した。奥さんから、お父さんには何もプレゼントないの?用意してませんと言ったら、奥さんがすぐさま言った。実は、その家族が来た時は、(一応支部長なので)さすが緑道場生の前で失礼かと思い、Tシャツを着ていた((´∀`*))
「そのTシャツ脱ぎなさい!それあげなさい!」
遠征に行く時に必ず着る自分の勝負Tシャツだった。金字色のこの道より我を生かす道なし…あののお気に入りの黒Tシャツだった。先輩以上に豪快な奥様だった((´∀`))兄弟で他流派のチャンピオンだったが、新極真会に移籍した。緑代表も可愛いがっている期待の兄弟である。
帰る時、マンション1階の貼り紙の説明をしてくれた。
「この貼り紙なあ!横島兄弟の事だよ。雨の日はいつも階段ダッシュだよ。部屋にもサンドバッグ吊るして、下の階の人はいい迷惑だよなあ!」と笑いながら教えてくれた。残念ながら大会で優勝出来なかった。移籍してまだ間もない。まだ色帯である。これからドンドン強くなる逸材と見た。彼らのこれからの成長と活躍を見守りたい。
翌日は、ジャニーズの嵐のJALのCMで有名になった「宮地獄神社」に連れて行って貰った。海岸に沈む夕陽が神社の参道を照らし、その海岸線から神社までの一直線の参道が「光の道!」として観光スポットになってるらしい。海岸脇の予約制のレストランで美味しい魚料理をご馳走になった。
悲しいかな?啓治に続き、母も2年前に施設に入った。台風の年、世界大会の直前に倒れた。今では田舎の実家は空き家となった。田舎に帰る時はホテルである。帰る所がなくなった😢
先輩の奥様が帰り際に言ってくれた。
「遠慮しないでいつでも遊びにいらっしゃいね!」
泣けた。心で泣いた😂お土産に手作りの梅干しをくれた。昨晩出された時、母が東京に米と一緒に手作りの赤しそ付けのしょっぱい梅干をよく送ってくれたんですよと話をしたら、持って帰りなさいと瓶ごとくれた。自分にとって梅干しは、おふくろの味なのである。
“奥ちゃん、昔と全然変わらないなあ!」と先輩に何度も言われた。その割には、空港で待っている時に搭乗出口で大柄な人が出て来て、自分と間違えたらしいです。本物の方が貫禄あるよと言ってた((´∀`))
先輩は年取ったなあと思った(内緒)。
高校時代にもし真面目に生活し勉強してたら、(われら青春!の中村雅俊さんに憧れて)本当は学校の先生になりたかった。先輩のマンションは福岡教育大学前駅のすぐ近くにあった。高校3年生の1月、共通一次試験の当日に自宅で他校の生徒を呼んで4人で中国語教室を開催していたら、担任の先生がすっ飛んで来た((´∀`))
「奥村、試験行かなかったのかあ?進路どうするんだぁ?」
悲しそうな声だった。翌週、登校した時にみんなの前で宣言した。
『俺、公務員になるよ!』
先生も同級生達も皆ひっくり返った。たまたま受けた公務員初級試験の合格発表が年末にあった。先生から電話があった。
「今日は珍しくいい話だから。お母さんと替わらなくていいから。」
「合格したぞ!」
12月14日発表だった。討ち死にしなかった😁
そして今、40年後・・・空手の先生になった。組織の中国支部長になった。人生とはこんなものである。
もう田舎がなくなったと思っていたが、32年振りの再会でまた帰る田舎が出来た😀
赤しその梅干しの焼酎割りを“385杯(ミヤコハイ)!”と言います。
京都(みやこ)郡みやこ町(犀川)特産の梅で作ったおふくろの味なので・・・田舎のみやこにあやかって、みやこはい!と名付けました((´∀`))((´∀`*))