刀は常に磨いておけ!

これは私がよく門弟たちに言って聞かせるところである。君たちは昭和のサムライなのだ。そしてサムライたるもの常々剣を磨いておかねばならぬ。義のあるところ、いついかなるときにも抜き合わせ、応じることが可能なように心がけておかねばならない。抜き放った刀が錆びておれば、それこそ武士たるものの恥辱、常日頃おさおさ手入れを怠らぬよう努めねばなるまい。だがしかし、そのように手入れを怠らず、磨きあげた剣なればこそ、鞘の中におさめて抜かざる気構えが必要なのである。抜く時は最後のとき、抜いた以上は一刀両断相手を斬らねばならない。ただこけおどしに剣を抜き、振り回して見せるが如きは武士のなすべき技にあらず、厳に戒めるべきことである。鞘におさまり、抜かれていない時の刀こそその姿は美しい。抜けばかがやかしく威光を放つ、しかし抜かざる。そこにこそ「押忍」の精神がある。「押忍」の精神即ち男の精神であり、武士の精神である。また、男のロマンとはまさにそのようなものではないだろうか。男のロマンこそ、男にとっては最高の価値を持つものではあるまいかと私は思うのである。武人の持つすがすがしさはまさにそこに発するものであろう。即ち、刀は常に磨いておけ。そしてしかも抜かないところに価値があり「武」の精神がある。 大 山 倍 達 総裁  著 書 昭和五輪書「風 之 巻」

大山総裁の教えの中で一番好きな言葉である。鋭い眼光で身振り手振り交えながら道場で教えを語る姿を見た時、感動した。身震いがした。あの感動は今でも忘れない。武士たるものの心構えである。空手道だから、武士に譬えられるのは常である。しかし、若い頃は総裁の教えとは真逆だった。茶帯、黒帯になって強くなったと勘違いして、試したくて試したくて、うずうずしてしようがなかった。俺は極真空手の黒帯だと威張っていた自分がいた。おまけに全日本や世界大会にも出たから、職場や何処でもそういう気持ちが根っこにあったような気がする。今思えば、恥ずかしい限りである。ただ、命掛けて取った大好きな極真空手の黒帯の誇りは間違いなくあった。今はどうか?・・・体力も衰え、技の切れもなくなり、表へ出ても空手をしてるなんて絶対に口が裂けても言えない。言わない。一歩外に出たら、空手の師範は内緒である😁

“武は備えなり 剣は磨いて鞘の中に納めておくべし みだりに剣を抜くは武に非ず!”

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