伝統継承せよ!

昨年に続きコロナ禍の中での昇段審査会となった。コロナ禍だけではない。これまで歩んで来た道のりは決して平坦ではなかったはずである。或る者は10年の、或る者は20年の、また或る者は30年の空手人生の集大成として臨んだ昇段審査だったに違いない。毎度ながら同じ道を先に歩んだ先輩達が昇段に挑む後輩に胸を貸す姿に心打たれた。また、昇段に挑む先輩の背中を追い掛ける後輩達が掛け組手で厳しい試練を共にする姿に感動を覚えた。毎回の光景である。5人それぞれに思いがある。

昨年は何人挑戦したか?もう忘れてしまった((´∀`))1年経ったが、審査以来一度も昇段後の黒帯を締めた姿を見ていない道場生もいる(内緒)。黒帯の価値、締めた後のその人の姿で決まる。帯そのものはただの帯である((´∀`*))今日入門した白帯が黒帯を締めても、ただの帯である。帯が黒いだけでその人は白帯である。5人の道場生に心から労いの言葉と祝福の言葉を贈りたい。そして、益々の精進を期待したいものである。緑代表はじめ多くの師範方の血と汗の結晶として生まれた新極真会の黒帯を心して締めて欲しいと切に願うばかりである。

昇段審査会の後、極真時代の後輩でもある共に参段となった奥村と山﨑と杯を交わした。山﨑の昇段祝いを兼ねて、「加曾利屋」で初めて飲み会をした。加曾利親父の会の結団式を行った((´∀`))昇段審査に向けて一緒に汗を流して来たからこそ格別のお酒となった。極真時代から気心の知れた先輩と後輩の間だからこそ杯が進んだ。久し振りの楽しいひと時となった。山﨑は審査4日前の交通事故を乗り越えて満身創痍で臨んだ審査会だった。3人ともそれぞれに極真時代があったからこそ、今がある。それが歴史である。歴史は否定出来ない。感謝こそすれ。奥村は、自分が千葉の責任者になった時に白帯を締めてやって来た。まだ公民館や体育館でジプシーのように転々と稽古していた時代である。山﨑も前の道場をやめて来た。今は道場1階で整体院を営む。自分の片腕として千葉南支部の分支部長を務める。

飲み放題食べ放題2時間のコースがあっという間に終わった。勿論、1時間延長した。それでも飲み足らず語り尽くせず、道場で山﨑とふたりで朝まで二次会をやった。寝袋を用意していた。山﨑は泊り覚悟だった😁

入門して40年が経った。サラリーマンを辞めて千葉の地に常設道場を構えて20年が経った。そんな節目の年だった。お酒の勢いもあり、心許す二人に自分が二十数年前に一度空手を止めた時の話をした。この世でたった一人かみさましか知らない真実を道場生に初めて語った。縁あって、加曾利の地に道場を構えた。箱だけの何もない道場に最初に飾ったもの。それは大山総裁のパネル写真だった。入門前、熊本での全寮制の研修所時代に通信販売で買ったものだった。年の瀬に3階(の家)に引っ越した。12月23日の日曜日に初稽古を兼ねて、常設道場で第一回目の昇級審査会を行った。駐車場は完全に整地さえできていなかった。草木一本さえ生えていなかった。昇級審査会の日の朝、大きな荷物が届いた。福岡から届いた。弟啓治(師範)から贈られた道場開設祝いの太鼓だった。心で泣いた。

平成13年12月23日、初稽古の昇級審査会で千葉本部道場に怒涛の太鼓の音が鳴り響いた。これから千葉の地を切り開いて進む千葉奥村道場進撃の最初ののろしでもあった。加曽利に常設道場を構えて新年を迎えた。正月2日には緑代表がわざわざお祝いに駆け付けてくれた。その数年後、千葉で第1回目のユース合宿が行われた時も帰りに道場に寄ってくれた。生涯忘れ得ぬ思い出である。決してこの恩は忘れない。

20年後、今その道場に“伝統継承!”の旗が掲げれている。偶然ではない。自分は必然だったような気がする。千葉新極真会の礎(いしづえ)は自分が築いた。勿論、これまで一緒に歩んで来た道場生達と共にである。千葉の地から新極真会の灯を消してはならない。永遠に灯し続けなければならない!

伝統継承せよ!


朝気が付いたら、自分が寝袋の中でした😁

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