世界の友好と平和!

弟啓治(師範)が倒れ、中国支部長代理として初めて上海に行った時の事をよく憶えている。道場正面には師である緑代表の言葉「死力達成」の横断幕があった。そして、啓治が書いた特大の書が所狭しと天井から吊されていた。
 ”中日友好!”、”新極真会!”、そして、”世界の友好と平和!”
啓治らしいなと思ったものだ。
ロシア軍によるウクライナ侵攻。啓治の書と共に、大山総裁の著書の言葉を思い出さずにはいられなかった。

『まるで明日死ぬことが、きまっている人間のように、私は生きてきた。一日、一日に戦いを求めた。なんのために?そのとき、そのときに、理由があった。あるときは、強くなりたいために、あるときは空手のために、あるときは、自分の惟う正義のために、愛する者のために、日本の威信のために。あるときは、かっこよく。あるときは、ぶざまに。あるときは、おびえながら血を流して、あるときは勝ち誇って、自ら倒した大敵の前に拳を天に挙げた。

なぜ、こんなに戦いを挑んで、生きてきたのか。家庭、きまった職業、定収入、住居には、こだわらなかった。生命すらも。それは、私自身の内部に燃えさかる、なにかであった。私は、自分が、人より正しかったかどうか、まちがいをしなかったかどうか、自ら判断するとき、決して自信はない。私が確信しうることは、そのときそのとき純粋な火の玉であったこと、ただひたむきに空手を修業し、自分の向上を願ってきたことだけだ。

私の使命は、なんだったのだろう。私はこれから、なにを使命とすべきだろう。その答えが、ここ数十年のあいだに、しみじみと、よくわかってきた。その答は、一つしかない。私は、私がなんのために、生きてきたのか、なんのために戦ってきたのか、それがはじめてわかったのだ。

私の使命は、戦うこと、その戦いの逆であった。

平和。

それにほかならない。(大山倍達総裁 著書「空手一代 極真大道」)

世界の友好と平和!
NO WAR!

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